アヒマディ博士のジュエリー講座 Vol.18
宝石の科学―生命から作られた宝石―真珠

 宝石は激しい地殻運動によって大地から生まれる無機物質性宝石と、生物が生み出す有機物質性(生物性)宝石に分かれます。生物性宝石は、生物の生殖の続く限り、その宝石が生み出されます。 琥珀やジェットのようなものは植物起源で、真珠、サンゴ、象牙、鼈甲のようなものは動物起源です。また、真珠、サンゴ、象牙などは石灰化しており、70~95%の無機物質と5~30%の有機物質とわずかな水分から構成されています。

 真珠は、貝殻内部の細胞からなる真珠袋が形成され、その真珠袋上皮の分泌によって、アラレ石(aragonite)の微結晶と有機質層が、交互に同心円層状に積み重なることで形成されます。

 市場にある真珠は、天然真珠と養殖真珠に分類されます。かつてヨーロッパで「オリエンタル」と呼ばれた良質の天然真珠は、主にペルシャ湾、マナール湾、オーストラリアのアラフラ沿岸に生息する海水産二枚貝であるウグイスガイ科に属する貝殻から採れたものです。まれに、オオシャコガイ(クラム真珠)と巻貝であるピンクガイ(コンク真珠)やメロメロガイ(メロ真珠)やミミガイ(虹色の不正形アワビ真珠)などからも採集されます。淡水起源の天然真珠は、主にヨーロッパやアメリカの河川に豊富に生息しているカワシンジュガイに属する淡水二枚貝からも採れます。

 養殖真珠の場合、養殖に用いられている貝殻は海水産二枚貝4種(アコヤガイ、シロチョウガイ、クロチョウガイ、マベ)、淡水産二枚貝4種(イケチョウガイ、ヒレイケチョウガイ、カラスガイ、マルドブガイ)、海水産巻貝1種(エゾアワビ)の合計9種類があります。

 真珠養殖に成功して以来、養殖場は世界中に広がり、(1)日本の南西海域、韓国、ベトナム、中国広西省沿岸を中心としたアコヤガイ真珠養殖場、(2)ミャンマー、フィリピン、マレーシア、インドネシアなどの東南アジアからオーストラリア北西沿岸に点在するシロチョウガイ真珠養殖場、(3)ミクロネシア・メラネシア・ポリネシアの3領域の太平洋上に浮かぶ島に点在するクロチョウガイ真珠養殖場、(4)日本の湖沼や中国大陸の河川に形成された淡水産真珠養殖場に大別できます。

日本産淡水真珠の歴史

 淡水真珠養殖の歴史はきわめて古く、11世紀には中国においてカラスガイを使用して仏像真珠や半形真珠が作られていました。日本における淡水真珠養殖は明治末ごろ、見瀬辰平氏が茨城県霞ヶ浦においてカラスガイを、1904年に越田徳次郎氏が北海道千歳川でカワシンジュガイを使用して行いましたが、いずれも失敗していました。藤田昌生氏は琵琶湖および付近の内湖において幾多の養殖実験を試み、1935年にイケチョウガイによる淡水産真珠養殖の事業化に成功しました。淡水産真珠養殖は第2次世界大戦により中断し、戦後の再開に当たって従来行っていた有核真珠養殖から無核真珠養殖へと切り替えられ、今日の淡水真珠養殖技術の基礎が築かれました。

霞ヶ浦湖に流入する小野川に設置した真珠養殖場の35年前の様子

▲霞ヶ浦湖に流入する小野川に設置した真珠養殖場の35年前の様子

現在の養殖場の様子

▲現在の養殖場の様子

無核真珠の養殖過程

無核真珠:母貝に細胞片(ピース)のみを挿入し、真珠層を巻かせる。

無核真珠の養殖過程

有核真珠の養殖過程

有核真珠:母貝に細胞片(ピース)と真円の核(貝殻)を挿入し、その上に真珠層を巻かせる。

有核真珠の養殖過程

 1955年度に0.1トンと農林統計で初めて記録され、中近東およびインドを中心に輸出が伸び、生産量は1969年度には6トンに達し、それ以降は年間6~7トンと極端な増減もなく推移しました。生産量の99%強は無核真珠で、残り1% 弱が有核真珠です。1970年ごろから中国大陸でも華中地方の長江沿いで、恵まれた自然環境と豊富な淡水産二枚貝の資源を利用して、淡水産無核真珠が本格的に養殖され始め、80年には約13トンも日本に輸入されていました。この時すでに日本で養殖された淡水産真珠の総生産量(年間約7トン)を大幅に上回り、その後も中国の生産量は毎年増加し続け、現在の年間総産量は700トン以上とも言われています。

 しかし、琵琶湖での真珠養殖は産業の隆盛に反し、イケチョウガイの天然資源が乱獲されて枯渇し、人工種苗生産技術が1975年に開発されたにもかかわらず、1982年ごろには健全な供給ができなくなり、衰退の一途をたどっています。人工種苗の成長不良の主な原因として、近親交配の弊害や漁場環境の汚染や生態系の変化が指摘されています。

日本で唯一生き残る霞ヶ浦真珠

 琵琶湖での養殖業の衰弱後、僅か数名の真珠養殖業者は、中国産の淡水真珠の量生産に対向するために南洋玉に匹敵する、良質の有核の10mm以上の真珠の養殖を1962年に始めました。養殖が可能かどうか綿密に調査し、琵琶湖から貝を移動し実験を行ないました。やがて貝が育つことが証明され、条件も非常によく、霞ヶ浦において核入り真珠の養殖に成功しました。 養殖場は環境の変化による影響を最小限に留めるため、霞ヶ浦に注ぐ新利根川、園部川、小野川の河口に作られました。

稚貝から真珠養殖用貝へ変化していく姿

▲稚貝から真珠養殖用貝へ変化していく姿
(左から:一ヶ月、2年貝、4年貝、7年貝)

 霞ヶ浦真珠の養殖者らは、貝をあらゆる病気や害から守るために、専用池を作り稚貝を2年間育てます。そして2年たった母貝に挿核オペレーションを行い、ネットに入れて湖に戻し、3年から4年で真珠の収穫が始まります。現在、霞ヶ浦で行われている養殖は有核真珠のみで、一つの貝に一個の核とピース(外套膜小片)を挿入し、真珠袋を形成し、その中で真珠が作られます。長い年月をかけて養殖された真珠の真珠層の厚みは3mmもあり、海水産有核養殖真珠より断突厚いのです。真珠の大きさは大低12~15mm範囲のものが多いです。

イケチョウ稚貝を池で2年間養成する

▲イケチョウ稚貝を池で2年間養成する

35年間以上の年月をかけて霞ヶ浦真珠を育て続ける戸田さん

▲35年間以上の年月をかけて
霞ヶ浦真珠を育て続ける戸田さん

養殖場で貝を4年間育て、いよいよ浜揚げの瞬間

▲養殖場で貝を4年間育て、
いよいよ浜揚げの瞬間

イケチョウ貝を開いた瞬間に光り輝いたピンクパール

▲イケチョウ貝を開いた瞬間に光り輝いたピンクパール

すばらしきテリを持つ様々な色合いの霞が浦真珠

▲すばらしきテリを持つ様々な色合いの霞が浦真珠

 霞ヶ浦真珠の母貝は、ヒレイケチョウガイ(Hyriopsis cumingi )とイケチョウガイ(Hyriopsis schlegeli )が交配されたものです。この種の貝から作られた霞ヶ浦真珠の特徴として、独特なカラーバリエーションができ、多様な色彩の真珠が養殖されています。その基調色は(1)ホワイト系、(2)ピンク系、(3)パープル系、(4)イエロー系、(5)パープルがかったレッド系、(6)オレンジ系、(7)ブラウン系、(8)虹色系などの系統色があります。真珠の色は国によって好みが違っています。日本においてはピンクとパープル系が最も高値で取引されていますが、アメリカやヨーロッパ市場においては、“Kasumiga Pearl”の光沢、多色とその大きさが非常に高く評価され、その需要量に間に合っていない現状です。

 残念なことは、今日、霞ヶ浦での真珠養殖業者はほんの数人しかいなく、年間の総生産量はたったの40kg以内にとどまり、霞ヶ浦真珠養殖の未来に大変心配な気持ちでいっぱいですが、今後の継承者の育成と環境の保護、そして国としての協力があれば、日本を誇る“霞ヶ浦真珠”を守り続けられるでしょう。

アヒマディ博士

執筆

阿依 アヒマディ博士 理学博士・FGA

京都大学理学博士号取得後、全国宝石学協会 研究主幹を務め、2012年にGIA Tokyoラボを立ち上げる。現在はTokyo Gem Science社の代表そしてGSTV宝石学研究所の所長として、宝石における研究、教育セミナー、宝石鑑別などの技術サポートを行っている。宝石の研究、鑑別に関しては日本を代表する宝石学者。

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